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執筆者の写真石塚

『悟り体験』を読む

昨日、統合失調症と自閉症の違いを調べていて、自閉症的な感覚とは、意識として統合される前の個々の感覚にリアリティがあるってことで、ドゥールーズ、ガタリ的なリゾームなんだなと理解した。簡単に言うとより身体的ということ。


そして、なんとなく色々な人の主観的な悟り体験をまとめた本を買って読んだ。


内観的な悟り体験とは、自他亡失、真如顕現、自我解消、基礎転換、叡智獲得の5つに大きく分類できそう。


自他亡失は自閉症的、真如顕現は歴史的、自我解消は統合失調症的、基礎転換は制度的、叡智獲得は音楽的な傾向が強いと言えそう。


各宗教ややり方でその見え方や感じ方はそれぞれだが、このような感覚を得たあとは価値観が変わり、人生にも転機が訪れる人もいる。もちろんそのまま生きる人もいる。


大乗仏教にはロクハラミータと言って、自分に関して精進し、瞑想で整えながら、叡智を知り、他者に対して施与し、道徳的筋を通し、忍耐を持てとある。


自分のことが分かっても他者のことをやれと書いてある。


他者のことをやれるというのは、背景には倫理や経済と結びついていると思う。最近は倫理と経済は一次元的に説明できると思っている。昔の宗教は今よりもっと政治と結びついていた。宗教の儀式はエンターテイメント的な要素もありお金ももっと回っていた。


経済と倫理への想いは私の自意識なんだろうか。その問題はあるにしても、ここをもう少し科学的にしていくことで、仏教はもっと資本主義にフィットするだろうと思う。別に仏教徒ではないのだが合理的であると思う。


他者のことをするにしても、自分と比較して遅いとか早いとか速度を感じるのは、まだ比較対象としての自意識があるってことで、ここをどう処理するのかはほぼ環境によると言っていい。


都市にいるのと、山にいるのでは違ってくる。あなたの意思としてどうするのかというより、『場所どうする?』ってことになる。


場所を変えて、他者のことをやる。それかモノづくりをするということが選択肢として出てくる。物自体との対話は、次元の異なる人と人とをつなぐメディアになるので。


他者のことを自意識レベルで捉えてしまうのが、まだ自分の未熟なところだとも思う。わたしにはまだ愛が足りない。自意識も自然現象なのだ。他者の自意識も自然現象のように、物自体のように愛せ。という感じもあるにはある。


うーむ。




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