仏教では、欲望は眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・に・び・ぜつ・しん・い)の六根から欲が生じてくると教える。六根とは、意識と五感を合わせたもの。

眼根(視覚)
耳根(聴覚)
鼻根(嗅覚)
舌根(味覚)
身根(触覚)
意根(意識)

仏教には六根清浄(ろっこんしょうじょう)という言葉があり、欲そのものを肯定しながらも、なるべく欲を少なくしていくことが良しと説かれている。西洋哲学も存在を作り出す本体が何かという議論において、神から虚無になり、欲望になり、そしてそれを作り出す身体、社会、環境などにたどり着いているような気がする。

欲望という言葉は広範なものを表す言語になっているが、根っこのところは恐怖から逃れたい、安心して生きたいという欲求に様々なものが付着しているのではないだろうか。

人は欲望を抑えられる仕組みが備わっているが、あえてそれを無視するような普段動物的な人もいるし、お酒を飲むとストッパーが外れる人がいる。ずっと我慢をして心身のバランスが崩れる人もいる。

まず身体機能を基本的に維持するための欲としては、呼吸、食事、睡眠、排便、性などがあるだろう。そして、外部情報に対して逃避が闘争かという反応もある。

さらに、心理学の書籍には 社会的なところと個人をからめた欲の説明として、下記のような種類があると書かれている。(金城辰夫編 『図説 現代心理学入門』 培風館)

獲得:財物を得ようとする欲求。
保存:財物を収集し、修理し、補完する欲求。
秩序:整理整頓、系統化、片付けを行う欲求。
保持:財物を持ち続ける、貯蔵する、消費を最小化する欲求。
構成:組織化し、構築する欲求。
優越:優位に立つ欲求。達成と承認の合成。
達成:困難を効果的・効率的・速やかに成し遂げる欲求。
承認:賞賛されたい、尊敬を得たい、社会的に認められたい欲求。
顕示:自己演出・扇動を行う、はらはらさせる欲求。
保身:社会的な評判・自尊心を維持する欲求。
劣等感の回避:屈辱・嘲笑・非難を回避する欲求。
防衛:非難・軽視から自己を守る、また自己正当化を行う欲求。
反発:二度目の困難に対して再び努力し、克服・報復する欲求。
支配:他人を統率する欲求。
恭順:進んで他人(優越な人間)に積極的に従う欲求。
模倣:他人の行動やあり方を真似する欲求。
自律:他人の影響・支配に抵抗し、独立する欲求。
対立:他人と異なる行動・反対の行動をとる欲求。
攻撃:他人に対して軽視・嘲笑・傷害・攻撃する欲求。
屈従:罪悪の承服・自己卑下の欲求。
非難の回避:処罰・非難を恐れて法・規範に進んで従う欲求。
親和:他人と仲良くなる欲求。
拒絶:他人を差別・無視・排斥する欲求。
養護:他人を守り、助ける欲求。
救援:他人に同情を求め、依存する欲求。
遊戯:娯楽などで楽しみ、緊張を解す欲求。
求知:好奇心を満たす欲求。
解明:事柄を解釈・説明・講釈する欲求。

上手に自己観察をしていかないと自分がどんな欲望に囚われているのか気づかないで行動してしまっていることになる。その時の欲望が満足したとしても生命活動が続く限り同じことを繰り返していることもあるだろう。それが良いのか悪いのかという議論はおいておき、そういうことが起きているという観察はすることができそうだ。日本よりも欧米の方で馴染みが深いようで、こういったときの解説によく使われるのがマズローだ。2018年の流行ったティール組織などの本も、マズローや、ケンウィルパーのインテグラル理論がベースになっているのが分かる。

「インテグラル理論」の中でケン・ウィルパー「現在は科学史観の真を絶対視する風潮が強い」と指摘している。現象を語るとき、世界をみるとき、あるいは生活を語るときでさえ、科学的視点から語りすぎなのだ。すべては多面的であり、真善美のバランスをとったほうが全体と個として最適になる可能性が高いことは直観的にでないと理解できないのかもしれない。自分がそして社会が本当にゴキゲンな状態とは何なのか。それはエピステーメー的に文化的な射程で変わってくるかもしれないが、まずは超越的な感覚質を知り、自己実現をしていることが重要なことには変わりないだろう。 

ウィルパーの感覚質は道元のそれと似ていると思える。ロゴスとレンマという対比概念があるが、それをよく感覚質として理解していると思えることは書いておきたい。

ニーチェはディオニソス的野蛮人 → アポロ的ギリシア人 → ディオニソス的ギリシア人 という流れで精神の成長を俯瞰している。その先は超人となる。ニーチェの超人に対しては、みんなが超人になっちゃったらだれが労働するの?という問いやツッコミがあるが、それにどう答えるのか。それはマルクスではなく、これから生み出される思想やシステムなのだ。

どうやったら超越したところと科学的や経済的なところを行き来できるのか。プラトンは、イデアは真善美の中にあると説いた。カントは「純粋理性批判」において真を、「実践理性批判」において善を、「判断力批判」において美を探求した。ウィルパーは真善美をビッグスリーと呼んで、真を「それ 三人称 客観的な事実 科学」、善を「私たち 二人称 間主観的な合意 倫理」、美を「私 一人称 主観的な経験 芸術」として表現した。ウェルバーは社会とのかかわりを考えて、真善美をさらに4つのQuadrant(象限)に分け「私(主観)、あなた(社会)、それ(客観)、それら(制度・文化)」としている。

欲を脳科学の見地から解明する研究も進められている。fMRIと呼ばれる脳の血流を計測する機器の発達などが背景にある。食べたいなどの生理的な欲求は旧皮質の影響で、存在や自己実現などの欲求は新皮質の影響を受けやすいと言われている。しかし超越的ということになってくると脳全体、心身全体、環境との一体化という広がりがあると言う人もいるし、私自身もそう感じられる。

欲望と大きく関係する情動(感情)についても書いておきたい。

 

欲が満たされたり、満たされなかったりすると感情(情動)が立ち上がってくる。

 

中国の伝統的な初学者用の学習書である『三字経』では、「曰喜怒、曰哀懼、愛悪欲、七情具」とあり、感情を7つに分けている。喜・怒・哀・懼 (おそれ)・愛 (いとしみ)・悪 (にくしみ)・欲。


インドの伝統的な美学理論「ナヴァ・ラサ (人間の9つの基本的感情) 」では、シュリンガーラ (恋愛感情;恋する気持ち、愛する気持ち)、ハースヤ (滑稽な笑い)、カルナ (悲しみ)、ラウドラ (怒り)、ヴィーラ (勇ましい気持ち、活力あふれる気持ち)、バヤーナカ (恐れ)、ビーバッサ (嫌悪)、アドブタ (驚き)、シャーンタ (平和)に分類している。

進化論で有名なダーウィンは、文化に依存せず普遍的な感情として7つがベースにあると示唆している。怒り・悲しみ・嫌悪・恐怖・驚き・軽蔑・幸福。

生理的、安全欲求から、社会的なものに関するところをまたがって、満たされたり、満たされなかったりすると湧きがる情動なのだろうと言える。

2015年6月にソフトバンクがペッパーというロボットを作った。ペッパーは感情認識ヒューマノイドロボットという触れ込みで発売され、店頭などで接客などを手伝っている。

そのペッパーの感情の仕組みを作ったのが、光吉俊二さんだ。感情をさらにこまかく分類して、ペッパーが人間とコミュニケーションをできるように設計している。

光吉さんのプロジェクトは、感情表現の調査し、感情項目を確定、心的身体的作用と生体物質の関係をマトリックス化して、感情項目の関係メカニズムを構築、工業的に規格化するという流れで進めているようだ。今後はロボットが人間の発達段階よりも進んでいて、より複雑な感情表現やコミュニケーションをとってくれるようになるのかもしれない。そうなると、内観による感情認識が確立されていない人のアプローチ方法の一つとして、ロボットとの対話というのがブームになる日も近いだろう。

ここに光吉さんの解説したスライドが掲載されている。

http://www.agi-web.co.jp/docs/Univ-Tokyo.pdf

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