top of page
  • 執筆者の写真石塚

「超越者と風土(鈴木 秀夫)」

西洋東洋の言語活動への表れが、ロゴスとレンマという感覚質によって説明されていく。そしてこの感覚質の違いは風土の違いであり、超越を語る時には同時に風土を語っている。それは、いまの自分を作り上げているのはなにか、物質の最小単位モナドのようなところまで還元した時に、どういう指向性があるのかということと関わる。


昨年から高野山、吉野、伊勢などに行ったり、銘木屋の方とご縁を繋いでもらい、分かったことは日本において超越と人を結ぶ一つは木ということだった。自分の中にも木へ超越的な感覚質があることがわかった。


▼「ロゴス」と「レンマ」-風土がつくる思想 地理学者 清泉女子大学文学部教授・東京大学名誉教授 鈴木 秀夫 氏


以下 本文より

鈴木 ええ。まず、西洋のユダヤ・キリスト教の論理は「ロゴスの論理」です。この論理は「A」か「非A」か、「善」か「悪」か、というふうに、常に二者択一なんです。これは砂漠で生活するためには必要不可欠なことです。


つまり、水場があるかないか、常に決断を迫られるわけです。選択次第でその後の運命は生か滅か、大きく違ってくる。


東洋、すなわち仏教の論理は「レンマの論理」と言いまして、例えば「A」というのは「非A」があって初めて存在する、言い換えれば「善」は「悪」があって初めて存在する。ゆえに「善」も「悪」もそれ自身では存在し得ないが、しかし現実には存在している、という論理なんです。ちょっと理解しにくいかもしれませんが、根本にあるのは「すべてのものは互いに相まって存在している」という考え方です。ちなみに、仏教ではこれを「空(くう)」と表現しています。これは、森林には生が満ち満ちており、砂漠と違って、生か滅か、行く手を思い悩む必要がない、区別する必要がない、という背景と密接な関連があります。





閲覧数:4回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ポエム1

内に潜んでいた希望の能力が外に出てきたので、オレは変わる。 失望や絶望から逃げなくとも、それをキャッチした上で生きていける。 人が好きになる。 何かを始める時の、最初のポジショニングが、どこか分かった。 ただこれらは予感の世界なので、罰や倫理や死を身体で受け止めていく。 すごく簡単に言うと、オレは泣き止んだ。

bottom of page