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  • 執筆者の写真石塚

「猿と女とサイボーグ(ダナ・ハラウェイ)」

哲学とは元々は愛知という強い情動だ。考えることにとりつかれることだ。ヘーゲルが哲学を整理して哲学史としてアカデミアで教え始めたことは意味があるが、思考より歴史が先立つことをメルロポンティは「ヘーゲルは哲学を美術館に展示してしまった」と批判した。哲学史を知ること自体はただの知識であって、大切なのは哲学者たちが提唱した概念によってモノゴトを捉えていけるかということだ。


知を発見して情動を動かすという意味で文学に期待できる時期もあったが、ロランバルトが指摘しているように、ステレオタイプな散文ばかりでは、人生に意味を見出すような、意味をもぎ取るような情動は獲得できず、断片的なとりとめない散乱を消費するだけになってしまう。


資本主義的な世界では合理化とお金が主役になって思考することが情動でなくなり、産業に取り込まれることになり、思考という言葉、概念に変容がおこった。思考は主義を表明するためのツールになり、政治・経済の駆け引きに使われるただのN数になりつつある。


この場にあっているのか、次にくるものは何なのかが重要になり、どの方向が正しいのか、正しいとは何なのか、お互いの共通点や前提を探るにはどこまで掘り下げればよいのかと、思考をめぐらすことに価値を置かれず、時間管理をされてしまう。結果論的に残ったものに後付けの論理を足していくことの多いこと。それはすでに体験したものをループしているに過ぎず、習慣に基づいて同じことを繰り返すゾンビと同じだと感じる人もいるだろう。目的をもった習慣は称賛されるように思うが、誰に称賛されているのか考えることをしない人はゾンビだ。


哲学的な思考を日本人が行うという特殊性を理解しておかないと理解不全に陥る。民俗学の本を読むと大多数の文化は循環史観か衰退史観だ。ところが西洋は進歩史観がベースにある。進歩とはある種の信仰なのではないだろうか。経済成長という概念だって信仰と言える。未来により良いものが来るという思考を疑いなく善とみなす。


出来上がった建物がなぜそこに立っているのか人はたまに疑うことを忘れる。思考することが情動であるならば、知を手に入れた人ならば自己否定を何度も繰り返す弁証法的なアプローチでも自分自信が危ぶむことはない。弁証法と大乗仏教の中観は似ている出発点なのだなと直観的に思う。弁証法というアプローチの方法は危機を回避してきたのではないかと思う。


人々は16世紀ころから科学に信頼を寄せてきた。ガリレオの数理と実験の結合から再現性が重要になり、人々の快のために科学が利用されるようになってきた。自然現象の限定的な再現性を利用してそれを合理的に応用してきた。その中で生まれてくる道徳や倫理はおそらくそれを作り上げている立場が大きく関与している。


リオタールの「ポストモダンの条件」には政治的な物語が力を失っていることがポストモダンの本質的な特徴と書いてある。つまり人々が共通して信じられる筋道がなくなり、政治的言説を正当化できる後ろ盾が無くなってきたということだ。知識は教育における啓蒙や政治における世論形成のためにあるのではなく、情報としてパッケージされて商品となって所有できるようになり、価値として交換できるようになった。哲学のような情動は、パッケージ化するのが困難なために簡単に価値化できずに交換可能な取引所には置かれずに忘れ去られていく。言語ゲームと政治ゲームと経済ゲームをするしかないのだなと再確認する。強固なる何かを求めるのは本当に難しいなと思う。


そういえば、舟木亨氏の書籍にこんなことが書いてあった。「現実と夢幻を区別する超越的基準を与えようとする思考は政治的営為であって、政治を超えてそれを普遍的なものとして見出す孤立した主観の純粋思考などありえない。哲学の本来の仕事は絶対的な根拠や境地を求めることではなく、妄想やイデオロギーを暴露して〈もの〉を真に発見するための助けをすること。値はもはや系統樹ではなくリゾーム(ドゥールーズ・ガタリ)。科学や非哲学と絡み合った知のネットワークの森の道<ハイデガー>」なるほど。庵野秀明があの年齢になって、ゴジラで超越的な存在を描きながらも政治を風刺するわけだ。。。


ダナハラウェイの「猿と女とサイボーグ」を読んでみて、サイバネティクスとバイオテクノロジーを再考してみようと思った。




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ポエム1

内に潜んでいた希望の能力が外に出てきたので、オレは変わる。 失望や絶望から逃げなくとも、それをキャッチした上で生きていける。 人が好きになる。 何かを始める時の、最初のポジショニングが、どこか分かった。 ただこれらは予感の世界なので、罰や倫理や死を身体で受け止めていく。 すごく簡単に言うと、オレは泣き止んだ。

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