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  • 執筆者の写真石塚

制度が使えず弱る人たち

・「申請主義」とは、社会福祉などの利用要件を満たす人でも、申請手続をしないと利用が開始できない仕組みのこと。


・申請主義に対して「職権主義」という考え方もある。手続の主導権を第三者(審判官)に認めて、当事者の申立を待たずに調査などをしてサービスなどを利用できるようにする仕組みのこと。


・社会調査の指標として「捕捉率」というものがあります。今回の文脈では生活保護基準以下の世帯において、実際に生活保護を受給できている世帯数の割合のことを言っています。


・また、補足率は税務署が本来の課税所得をどのくらい把握しているのかを表す言葉としても使われています。クロヨン(給与所得者:約9割、自営業者:約6割、農業、林業、水産業従事者:約4割)。トーゴーサン(給与所得者:約10割、自営業者:約5割、農業、林業、水産業従事者:約3割)。トーゴーサンピン(給与所得者:約10割、自営業者:約5割、農業、林業、水産業従事者:約3割、政治家:約1割)。


・日本も含めて各国では国民に番号を割り振って所得や支出を把握しようという動きが昔からあります。アメリカ合衆国は社会保障番号(SSN)、イギリスは国民保険番号(NINO)、エストニアは国民ID、ドイツは税務識別番号など。日本ではマイナンバーがこれにあたります。


・スティグマとはギリシャ語で、奴隷や犯罪者の身体に押し付けた烙印の意味で、そこから社会が作り出す不名誉なレッテルという意味で使われています。正義論や暴力論に繋がる感覚質です。


一緒に活動しているNPO法人Social Change Agency代表の横山北斗さんはここに切り込んでいます。


本文からの引用(横山さん) ------------------------------ 自分が社会保障制度の受給要件を満たしていることが分かっても、申請の手続き自体が障壁になる場合があります。


役所の窓口が午後5時までしか開いていなかったり、書類を記載する、申請に必要な添付書類を集めることが必要になります。


認知症を患っている方や障害のある方、言葉の困難がある方(母国語が日本語でない人たちなど)のなかには、申請における手続き自体(書類を揃える、書くなど)も大きな障壁となる場合が少なくありません。


申請に行く前(複雑でわかりづらい制度を調べ自分が利用できるものを探す)と、申請に行く時(煩雑な行政手続きや制度の利用に付する社会的なスティグマ)で、多くのハードルが存在しています。


窓口での水際作戦、生活保護へのバッシングを通した、制度を利用することを恥とする風潮(スティグマ)がつくられることも制度を利用するハードルを高めています。


申請主義の課題を乗り越えるための具体的な解決策として、いくつかあると考えています。一つはスティグマの軽減で社会的な偏見をなくす啓発やキャンペーンを行ったりです。もう一つはアウトリーチです。


例えば、世田谷区烏山駅前通り商店街では、高齢者の見守りをポイントカードを活用して行っています。20日程度ポイントカードの利用がない場合に、商店街と世田谷区が連携して高齢者の安否確認を行う仕組みです。 ------------------------------


https://outreacher.ova-japan.org/registration-upon-application-1/?fbclid=IwAR24y22WOIKD1Xpx5PJZpatufclt17Oe0S08ANJtNySb_e5ekZ2CD2COCg8



個人的な考え方ですが、税の捕捉率を高めるための施策としては、「納税者自身の意識の高揚と誠実・正確な申告」「税務署の調査能力の向上」「脱税や不正な申告行為に対する罰則規定の強化」「納税者番号制度」「税制自体を捕捉率の高い税種主体に切り替える」などがあるようです。これらはそのまま社会保障制度の捕捉率の施策にも使える考え方になるのではないでしょうか。


また、申請主義は憲法25条との関連を論じられることがあります。


※日本国憲法第25条

第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


憲法や社会保障論の文脈で考えると、国家による介入を抑えようとする権利を「自由権」、国家の管理を強めて再配分を強化するような考えを「社会権」と言います。


日本国憲法では、25条が生存権、26条が教育権、27条が労働権、28条が労働基本権となっており、これらを憲法上の社会権として解釈することが一般的です。


憲法第25条の法的性格については、抽象的権利説、具体的権利説などの学説があって、どこまでの制度などが違憲として審査されるべきなのか基準は明確になっていません。憲法改正や解釈の議論に含められて検討されるべき項目でしょう。


いまの世界は、国境を越えた人の行き来、インターネットでの情報の行き来、投資マーケットのグローバル化、電子通貨を含めたお金の流れなどを背景に考えると、社会における個人の権利を国家だけが担うのは難しい時代となっていると感じます。


個人の権利と国家の関係、他者との関係、そういったことが根本的なところから問い直さなければいけないのかもしれません。

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