ニュース映像や記事などをみると、「シャーデンフロイデ」という感覚を思い出す。シャーデンフロイデとは学術論文でよく使われているが、要は「他人の不幸は蜜の味」というやつ。
シャーデンフロイデを、皮肉を交えて言うと、何らかの不満、妬み、不平等などを感じていた人にとっての他者が、直接的には自分とは関係ない原因によって、その人の落ち度によって、その人が死ぬまではいかない程度の罰を受けると、快感ということだ。
これは共感をベースにした倫理や道徳や責任や契約とも繋がっいる構造。
図表にしてみた。
ショーペンハウアーは『道徳の基礎について』の中で、人間の行為動機を3つ挙げている。
1.自分の快を目的とするエゴイズム。
2.他人の不快を目的とするサディズム。
3.他人の快を目的とする同情。
また、ニーチェはシャーデンフロイデについて「平等性の勝利と回復についての最も卑俗な表現」と言っている。
合理性に裏打ちされた、理性的な道徳というものがあるとすれば、シャーデンフロイデは短期的、個人的な快楽を満たすだけであって、それ以上の意味は特に無いと思える。
映画などを見ていると、あえてそういった倫理的なところを考えさせられるストーリー展開になっているものも多く、喉が渇いたり、刺激が欲しくなって、思わずなんか買っちゃうコンテンツとなっている。人の精神構造を上手に利用しているし、見る人もそれを楽しんでいるということだ。
ポジ共感より、ネガ共感の方が7倍も感染率が高いという論文もあるようだ。ネガ共感のストーリーも多い。
図表で空白にしている、自分がネガが相手がポジの場合、これは自分がどこまで感情から解放されているかによって、行動が変わってくる。自爆するテロする人もいるし、ネチネチ攻撃で何十年も妬みが終わらない人もいるし、一瞬で無視できる人もいるし、自分の精神構造を理解するための成長の糧とする人もいる。様々だ。
シャーベンフロイデと空白は入れ替わったりする。人は図表の空白のところの状態に置かれたときにどう行動するのか、感情や倫理に支配されることが多い。感情的な同情をしていると逆になったときに耐えられないという諸刃の剣なのである。シャーベンフロイデを堪能するということは天に唾を吐く行為と似ている。
人は感情というリアリティからなかなか逃れられない。しかし、逆の感情の行き場がなくなった時の怖さを先に感じておいてほしい。自分自身でコーチングをしてメタにいけるようになったりする。ある種の予防なのだ。
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