欲求と欲望は違う。欲求は水を飲めば喉の渇きが収まるような生理的現象で、欲望はいくらあっても足りないお金のような終わりがない未来の消費だ。
過食や快楽的なセックス、終わりのない承認欲求たちは、食欲、性欲、存在という欲求から始まっているが、愛を失う恐怖が欲求を膨れさせ、いつのかにか欲望に変わる。精神が自らの細胞たちをコントロールできなくなった動物的な騒ぎとも思える。
深く息を吸って、じんわりとこれらの欲望をよく観察してみると、さっきまで焦ってほしがっていた欲望は、すでに風化していて、サラサラした砂になって、いつの間にか消えている。
そこにあるのは、ただのモノと、世界をそのように見たいという、成育歴や教育や倫理に影響された認知フレームのクセなのだ。
そう『ただのモノ』と『クセ』だ。
それが分かると、『クセ』から解放された『ただのモノ』たちは、姿を変えて、無限とも思える情報を持った物質になる。
Comments