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人間を含む動物には、基本的に欠如がある。欠如は失望や悲しみを呼び起こす。失望や悲しみは、コトバによって捉えやすくしたに過ぎないが、この失望や悲しみを予防するために状況や相手を変えようとして、怒りが湧いて行動を促進させようとする。欠如を満たして、ストックを蓄えるのが動物の本能だからだろう。
個人の欠如はどう作られるのか。自分が幼い時に体験した意識には上がってこない経験値がベースになっている。
今起きたことに怒る。しかし、それは本当に今起きた現象で怒っているのだろうか。本当は過去の自分の体験を思い出したくないから、いまの欠如ではなく、そもそもの欠如で怒りが発動しているのではないだろうか。
自分の根っこをつかんで、自分は何が欠如しているのか。それは何故か、どうしたら欠如を認識でき、それを癒すことができるのだろうか。
そういったところまで意識に上がってくると、欠如と対峙する準備ができる。それは子供の自分だ。それをインナーチャイルドと呼ぶそうだ。
過剰に酒、タバコ、性、ギャンブルなどに依存していくことは、実は悲しみを見ないため、そして二次的にでてくる怒りを抑えるための取引とも言える。(もちろん適度なものは楽しみとして付き合えると思う)そういった取引もインナーチャイルドを癒すことで止めることができるだろう。
人は欠如を認めることが苦手だ。それはアイデンティティや存在を失うかもしれない恐怖があるからだ。しかし、それは自己の認識であって、決して失うことはない。最初から無いのであって、損得で判断する領域ではないのだ。
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