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  • 執筆者の写真石塚

「MED 脳髄液減少症(のうずいえき げんしょうしょう)(重光喬之さん)」

友人で、脳髄液減少症(のうずいえき げんしょうしょう)を持っている重光さんのプレゼンが公開された。


脳髄液減少症とは脊髄(せきずい:かんたんに言うと背骨のなかにある)のケガのようなもの。


交通事故や転倒、スポーツ外傷、出産などの外傷性もあれば、脊椎の手術や整体などで発症してしまう場合があって、主な症状は頭痛。その他にもめまい、吐き気、自律神経異常、免疫異常、睡眠障害など。


痛みの強さは医学的に定義できない。「神経繊維内を伝達する痛みの信号」と「心の痛み」がブレンドされているからだと思う。こういったものに対して共感するのって難しい。

僕は医療現場の取材などを通じて、色々な人のインタビューを通じて、類推しているに過ぎない。たとえば医療や介護職の人たちが震災後のケアに駆け付けるのは、普段からそういうことを想像できているということ。


この問題については、中村雄二郎氏が「共通感覚論」という書籍を出している。中村氏は自らの主張をカントの「統覚」に近いと言っている。


重光さんはミエログラフィーという検査、ブラッドパッチという治療をして、数年ぶりに数か月間、痛みから少し解放されて調子がよくなったそう。そうするとこんどは、社会的なプレシャーや自己との対話から不安や孤独が襲ってきて、うつになってしまったそう。


現代社会は個を意識して責任を持つこととされがち。もちろん社会を維持するために必要なこと。しかし、せっかく痛みから逃れても、別の痛みを感じてしまったのだと思う。


こういった状況というのは経済成長しなくなる社会では起こってくることだと思っている。痛みからの解放は、役割からの解放にも似ている。役割が無くなったとたんに、何もないことを意識してしまうということだ。


これはMITやスタンフォード大学でやっているインプロビゼーションの授業をしているそうだけど、これは類推する力と何かに憑依する力を身につけるものだと思う。憑依とは何かになってみるということで、そのままのものを認識するという技術。


類推する力は似ている経験から生まれてくる。そしてこんどは憑依する力にも繋がる。そんなことをこの動画から感じた。


https://www.youtube.com/watch?feature=share&v=nizIfm5I0eE&app=desktop


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