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Expressionを運営する理由

  • 執筆者の写真: 石塚
    石塚
  • 2018年9月19日
  • 読了時間: 2分

情報空間から、または宇宙からやってくる、まだ得体の分からないもの。


それを、どんな手段で、どんな媒体に、どう出現させるのか。


安心な空間に身体を置くと、祈りと処理が同時に作動する。


そういう場が日常にあったら、自分の存在がもっと強いものになっていく。


なぜなら、それは楽しいから。楽しさは正義に勝る。


遊戯の中の存在論。


楽しさの後に、正しさがついてくる。倫理は存在の後についてくるのだ。


ハッキリとしたフレームを掴むまえの、「こんな感じ」というクオリア(感覚質)。


クオリアは空(くう)のような言語活動だ。


フレームにはめる前のクオリアをたくさん持つことで、言語活動の幅が無限に広がる。


そういうものをインストールしたい。


より根源的なところに思考を飛ばせば、第三の案がでてくる。


二項対立的、ロジックで考えていると発生する問題も、


クオリアから、


もっと奥の阿頼耶識から、


無限の情報空間から、


もともとの問題が無かったかのような新しいビジョンが湧いてくる。


ベルクソンが言った言葉に「エラン・ヴィタール élan vital (生命の飛躍)」というものがある。


ベルクソンは人に生きる意味を与えるために、あえて形而上学に挑んだ変人だ。


生命には過去を断絶して、新たに違った姿に飛び越える力がある。


常住なる永遠不変のものはないが、関係性はあるのである。


無と縁起。 カオスからの秩序。


それは楽しい、創造活動。



 
 
 

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