本日、日仏会館で行われた講演会「非西洋と近代性は両立しうるかー日本の場合」に参加した。講演会の内容はジュネーヴ大学教授のピエール・スイリ氏の著作をベースにしたものだ。日本の1880年頃の自由民権運動は、西洋(ルソーの思想など)ではなく、中国の古典に着想を得ていたという主張だ。
講義の中ででてきたピエール・スイリ氏の主張はこんな感じ。 ------------------------------------------- ▼日本の近代化において、西洋を模範とするだけでなく、中国の思想からの影響や日本独自のものも多く含んでいた。(近代化とは1800年代の中盤くらいから、戦前までの時期を指している)
▼岸田としこ(中島 湘煙)はフェミニズムという概念が出てくる前から孟子の思想を用いて西洋とは違う独特な切り口で女権拡張を語っていた。
▼足尾銅山鉱毒事件に対する田中正造の活動はエコロジーという概念が西洋に生まれる以前のものだった。日本の独特な自然観に基づいている活動だった。
(最近だと、2014年にNHKで「足尾から来た女」というドラマがやっていたらしい。知らなかった。)
▼福沢諭吉や西周らが結成した明六社を中心に、日本独自の世論、公論を作り上げていた時期があった。
▼朱子学、神道、国学をベースにした社会活動は近代化において多く見受けられており、初期の社会主義活動などにおいては、儒教的思考形態も取り入れられている。
▼最後の質問コーナーで参加者から意見で印象的だったのは「儒学的な考え方は、現在は中国や日本よりも西洋において実現してしまっている。」というもの。 -------------------------------------------
ピエール・スイリ氏は、講義の中で近代化において日本人はよくブリコラージュをしていたとも発言していた。なるほど。ヨーロッパからみたら正にこれがブリコラージュなんだな。欧米人における日本研究の面白さが少し分かった気がする。
しかし、こういった日本のオリジナリティをフランス人に認識されているにもかかわらず、日本人同士でのこういった思考の系譜は断絶されているように思える。自分的には田中正造にあまり触れていなかったので、少し調べてみた。
「佐野が生んだ偉人 田中正造 その行動と思想」このサイトに時代背景が詳しく書かれていた。(http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/index4.html)
・この時代、日本は長い江戸幕府による封建制を脱却し、殖産興国を旗じるしとして世界の列強という国々に肩を並べようとしていた。
・列強と肩を並べるには、当時世界的に流行した領土拡大と他国を植民地化するという政策を国策として推し進める必要があった。
・この当時、銅は絹とともに外貨を稼ぐための最大の商品価値を有していた。そのため国は、これら増産のために大口生産者に相当な肩入れをした。
・足尾銅山は、この当時国内において40~50%の銅生産率で、国内第1位を誇っていた。
・手っ取り早く言うと「銅と絹を売って、軍艦と兵隊を手に入れ、アジアの隣国へ侵略し、領土拡大を画策した。」のである。
・こうした政治背景の中で、正造は「足尾銅山の操業をやめさせろ!」「戦争は犯罪である。世界の軍備を全廃するよう日本から進言すべきだ!」と明治政府に迫る。
・正造の行動でのクライマックスの一つは「天皇への直訴」であるが、直訴に関する当時の最高刑は「死刑」であり、正造は真に命を賭けて行動したのである。
なるほど。時代背景からすると、国権化が進み、戦争に進もうとする時代に、「真の文明は 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さざるべし」という主張をし続けたというわけだ。神道の八百万の神の思想じゃあないか。と思ったが、人生の後半ではキリスト教の影響も強く受けているらしい。
でも、それをフランス人に教えてもらっているというなんとも言えない状況が気になる。。。。
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