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  • 執筆者の写真石塚

「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」マルクス・ガブリエル

ドイツ人の哲学者 マルクス・ガブリエルが来日していて話題だ。彼は資本主義を「モノの生産を伴う組織的な活動全体」と定義している。資本主義はモノの生産と基本的には同義なのだ。また、彼はNHK「欲望の時代の哲学 マルクス・ガブリエル 日本を行く」の冒頭において、彼はこう語っていた。


21世紀ではアイデアは経済システムに取り込まれます。

この時代において何かを表現したいのならば、

例えば哲学を生き残らせたいならば 時代に合った表現を見つけなければなりません。

それが21世紀のゲームです。

そこで戦わなければ、考えを人に伝えることはできません。


またいくつかのメディアにインタビューで答えていた中で、「日本人が時間に厳密なのは資本主義からきたものだ。」という指摘があったのを記憶している。


日本人が時間に厳密なのは、そう見せているのかもしれない。見せることでゲームに参加できる権利を手に入れたと安心しているのかもしれない。その安心は習慣になり、それ以外のことをすると不安になる。身体が感情にコントロールされる話だ。


経済活動における秩序作りにおいて、お金稼ぎの過程において「時間」が一つの形式となり、恐怖心と結びついて無意識へと送り込まれる。台風でも大雨でも、なんとなく時間を守る。


経済とは少し離れて、生活に近いところにおける礼儀を考えてみると、まず他者に対する敬意や慎みの気持ちが前提になる。そして、その気持ちが他者との交際を全うするために、礼儀は行為として現れる。


しかし礼儀が発動するためには時間がかかる。それは、相手のことを知り、自分のことを知ってもらわないと、お互いにとっての秩序の方向がどこに示されるのか分からないからだ。


秩序が見えるところまで付き合える人は限られている。しかし、そういう人に出会ったら礼儀を尽くして秩序が果てるまで付き合おうと思った。


ガブリエルさんの来日もそうだし、日仏会館などでやっている勉強会もそうだが、日本人がどんどん海外の識者によって言語化され、解体されていく。 日本に秘する部分は残るのだろうかとちょっと心配になる。見物人ではなく行為者になろう。行為者となり秘するのだ。


https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/2225527/index.html


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ポエム1

内に潜んでいた希望の能力が外に出てきたので、オレは変わる。 失望や絶望から逃げなくとも、それをキャッチした上で生きていける。 人が好きになる。 何かを始める時の、最初のポジショニングが、どこか分かった。 ただこれらは予感の世界なので、罰や倫理や死を身体で受け止めていく。 すごく簡単に言うと、オレは泣き止んだ。

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