「火の鳥 太陽編(手塚治虫)」
- 石塚
- 2016年11月24日
- 読了時間: 2分
大人になって火の鳥を読み直すと良い。青年のころには孤独を処理するのが難しいが、大人になると孤独と戯れる良さが分かってくる場合もある。
火の鳥・太陽編には、八百万の神と共に地域で穏やかに暮らしたいという思いが素直に書いてあった。一番印象的だったのはラストシーン。八百万の神の狗族(きつね)の娘と主人公の犬上が精神世界にいくのだが、犬上が「精神世界に行こう」と宣言しているのに娘が何も言わないところだ。きっと娘は好きな人と入れるからどこでもいいんだろう。今を生きようとする本質が現れているシーンだった。
手塚治虫はキャラを作らず俯瞰の物語を書いている作品が多いと指摘されているが、このシーンばかりは手塚治虫監督も犬上に引っ張られ、狗族の世界(精神世界)に連れて行かれてしまったのではないだろうか。
火の鳥は、漫画という絵の力を利用できるメディアによって、言葉だけでは伝えるのが難しい輪廻天性、悟り、精神世界と現実世界との行き来といった体験性が必要なものを分かりやすく解説して、疑似体験できるようになっている。手塚治虫はこの認知の仕組みを理解し、ネタとして仕込み、表現する方法を構想したのだろう。このメソッドはスタッフにも共有されていたのだろうか。これは調べたいと思った。
言葉は阿頼耶識、末那識に、うごめくものを釣り上げるフックだ。手塚治虫はこのフックが上手なのだと思うけれども太陽編に関しては、自身の思いがかなり表出しているのではないかと思った。ありがとうございます。

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