スピリチュアルペインは末期がんのケアにおいて盛んに用いられているケアに関する用語だ。身体的な痛みとは違う、その人の存在やアイデンティティに関する痛みとして理解されている。
主に下記の3つの要素が痛みを引き起こす。
時間 関係 自律
時間が無くなると、未来が無くなり、現在が無価値になる。
関係が無くなると、自分を外から認識できなくなる。
自律が失われると、何もできない、機能しない自分に価値を認めなくなる。
普段、我々は時間、関係、自律を前提に社会を営んでいる。特に都市はこの3つを守れないと存在できないと言ってもいいだろう。
しかしこの3つは、生まれた時にすでに始まっている存在への問いであり、普段は無意識にしまいこまれている。失われると、それが表出してくるといったわけだ。
時間は成長を生み出し、 関係は家族や国家を生み出し、 自律は個や所有を生み出す。
どれも魅力的な存在にみえる。しかし、存在は普段は意識されないし、すでに持っていても、もっと欲しくなるのが欲望なのだ。
欲しい人に失った人の気持ちが分かるだろうか。欲しい人は、その痛みが嫌だから欲しいのだ。だから分かりたくないのは当然。病気を持つ友人と話すと、それを簡単に見透かされていると思う。ケアとは感情の共有だけではない。ケアとは存在にまで関わってくる、とてもプライベートな問題なのだ。
無意識にある欲望や寂しさや存在希求を意識にあげればあげるほど、道徳、倫理、社会、目的といった本質的と思えたものは相対化されていく。
求めるものを「幸せ」というワードで括ると漠然としすぎていると思える。幸せとはモナドみたいなもので欲望の連鎖だ。最小単位も最大単位も更新し続ける。ではどんな言葉がいいのか。それは。。。ひとまず「安心」ということにしよう。安心は傾聴から始まる。自然と心が整う処方箋。傾聴と祈りから始める形而上学。
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