バタイユは、「性は生命と種の保存の名において個人的道徳を失効させる」と言っています。経験と知識に基づく優れた観察力だなと感心します。
西洋的には愛をエロス、フィーリア、アガペーの3種類に区別しています。
エロス(純愛) フィーリア(友愛) アガペー(無償の愛)
エロスは、欲望(リビドー)の美的な昇華です。新しいものを欲しがります。同一化したいいう衝動もあります。
フィリアは、理性的に幸福を追求する行為と言えます。違いを楽しめる感じです。
アガペーは親子のような、ただ与えるという行為です。与えている本人も満足です。
エロスを感じている時、知らない間に集合意識の中の取り込まれて、抜け出せなくなっていることがあります。快楽と集団の維持は実は近いところにあるのです。違いに対する好奇心から始まり、知らない間に集団倫理に取り囲まれ、抜け出せないでいるところに、またエロスの衝動が繰り返される。しかし、この構造を認知できると、エロスではなくて、フィリアや、アガペーにいったりします。
エロスは最終的に相手と一致したいという衝動が強くなります。差異で始まり、一致を期待し、最後は残念でしたで終わります。一致できないという衝動で、相手を殺してしまう人もいます。
人はできないことも約束します。現実世界のほとんどの約束は果たされていないかもしれません。約束ではなくて、合意の無い期待の場合も多いでしょう。
エロスの同一化したいいう衝動は、神様にも向けられます。昨年の神保町サロンのテーマは「超越性」でしたが、この超越性の根源には、エロスの衝動があると言ってもいいのかもしれません。

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